大きな愛はまぼろしです

愛と不安や恐怖、ストレスとは関係がないと思っている人が意外に多くいます。

結論から先に言えば、愛と落ち込みや凹みには密接な関係があります。簡単に言うと、失恋すれば人は落ち込みます。失恋して凹まない人などみたことがありません。失恋は愛する対象の喪失です。

あなたが今何歳であっても、ここで少し自分の失恋経験を考えてみましょう。

失恋は愛する対象の喪失だと言いました。失恋と言うからには相手を失った悲しみです。自分がいくら好きでも相手からノーという拒否をもらうことになります。この場合、相手から愛をもらえないという悲しみですが、実はもう一つあるのです。

それは、自分が愛する対象がなくなったという悲しみです。

あなたは相手から与えられない愛で悲しいのでしょうか。それとも相手に愛を与えることができなくなったという意味で悲しいのでしょうか。もちろんどちらの気持ちもあるでしょうが、比較の問題でどちらが悲しいでしょう。

人はどんな人でも愛を求めて生きています。

多くの場合、失恋しても時間がたてばまた別の人を愛せるものです。ずっとその失恋をひきずって恋愛をしないでいる人はほとんどいません。これを「愛は永遠なもの」と言ってしまえば、他の人を以後一切愛してはいけませんということになります。もしそれを自分でやってしまったら、あなたはもう生きていけない程に苦しいでしょう。

お気づきでしょうか。
本当は自分が誰かを愛せない方が愛されないよりも余程つらいのです。

そうです。愛の対象の本質は自分だったのです。心の矢印は一見、他人からもらう愛にみえますが、本当の矢印は自分自身にむかっていたということです。

永遠の愛だとか、人類の愛だとか、大きな愛もたしかに声高に言われています。しかし、そんな愛はまぼろしにしか過ぎません。もともと個人の愛の世界ではそれを体感できる人がいないからです。

それよりも、もっと現実的で小さな愛はすぐに体感できます。例えば毎日会う旦那さんや奥さんと、朝でも昼でも夜でも何気ない「あいさつ」をする、泣く子に対してあやしてあげている自分がいる、子供をしかったり心配したりしている自分がいるとかです。あるいは自分が風邪をひいたときに旦那さんや奥さんから、「大丈夫?」と一言声をかけてもらう、食べられない時に簡単な何かをつくってくれたりする、悩んでいるときなど解決策はなかなかみつからないけれど、じっと手をにぎってくれたり抱きしめてくれたりする・・・

永遠の愛だとか、大きな愛を信じていると、こんな小さな小さな愛の言葉や行為が愛だとは感じることができなくなってしまいます。もともとそんなものはなかったのです。それなのに、なにかそんな高貴にみえる愛を期待したがために、目の前のホンモノの愛がわからなくなってしまうのです。

永遠の愛、大きな愛などはもともとなかったものと腹をくくってみると、逆に小さな愛に痛いほどありがたさを感じる自分を体験できます。

小さな愛とは、小さな言葉、小さな行為の積み重ねです。
その小さな愛こそがホンモノの愛だったのです。

ホンモノの愛を体感できると、人は愛の対象を呼び戻すことができます。一度失った愛の対象は実は自分だったという話をしました。しかし小さなホンモノの愛は、自分という愛の対象を取り戻すことになります。しかも小さな愛は小さな言葉と小さな行為なのですから、しようと思えばすぐに他人にもそれを与えることができます。

そう、小さな愛とは与えられる愛ではなく、与える愛だったのです。

与えるだけの愛とは、なにかもの悲しくも感じるかもしれません。人は愛されたいからです。産まれてまもない赤ちゃんは、お母さんから無条件の愛を獲得できます。当たり前ですが、一人では生きていけないからです。だっこされ、母乳をあたえられ、お母さんの肌や鼓動は赤ちゃんに安心感を覚えさせます。これが私達がいくつになっても、与えられる無条件の大きな愛があると信じてしまう原因です。しかし、ホンモノの愛は赤ちゃんをだっこできているという母親の内側にあるものがホンモノの愛なのです。やがて、赤ちゃんは成長し、少年少女期をへてお母さんから分離していきます。

この分離がうまくできて、お母さんも赤ちゃんも自律したお互いの人格を形成していくのですが、これが永遠の愛とか大きな愛とかというまぼろしを信じたがために、うまく分離できないことも生じてきてしまいます。これを分離不安とか見捨てられ不安とかと言います。これに関しては別項で書いてみたいと思います。


いずれにしても、大きな愛、与えられる愛はまぼろしだったということになります。ホンモノの愛は小さな愛、言葉と行為による愛だったということです。そしてその小さな愛は一方通行のみの愛だったのです。

そんなふうにホンモノの愛がみえてきたら、自分のために一方通行でも構わないから先ずは形から入ってみることができます。小さな言葉や小さな行為は大きなまやかしの愛と違ってすぐにできるからです。明日からと言わず、今すぐできることなのです。

職場の上司や同僚、配偶者や家族の面々、お友達にでもそれはできます。もちろん一方通行なのですからもの悲しさはあるかもしれません。しかしその人たち(たとえ毎日会う人、会わない人、すでにもう逢えない人でも)の顔をよくよく思い出しては心の中で静かに少しじっとみつめてあげてみてください。

小さな言葉、小さな行為を与えるに十分な人たちのような気がしてきませんでしょうか。それはその人たちの為にも勿論なりますが、本当は自分という愛の対象を取り戻すために一役も二役もかってくれるものになるでしょう。


●大きな愛、永遠の愛とはまぼろしの愛だった。

●愛を感じられなくなったら、小さな愛を実行してみよう。

●小さな愛とは小さな言葉、小さな行為であり一方通行の愛です。






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posted by 大山 at 16:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | 心の風景

心を鍛えようとしないこと

心が弱っている人が家族や自分の組織にいる場合、多くの人はその人に向かって気持ちが弱い、とか心が弱いと言います。

では、心を強くするにはどうしたらいいでしょう?とその人に聞くと「心を鍛えなければならない」と言います。

さらに、では心を鍛えるにはどうしたらいいでしょう?と聞くと、心を強くもたなければならないと言います。

これではなにか行ったり来たりで具体的には何の解決にもなりません。それどころか、そもそも心は鍛えようとすればするほど、心はもろくなってしまうものなのです。

人の心は強く持たなければとか、鍛えなければといった瞬間に弱くなるものです。

それはどうしてか?

そう言った瞬間にその人の心のあり方を否定していることになるからです。心の中で何を思おうが思うまいが、心の中は自由です。

あなたは今まで生きてきて、心の中にネガティブなことを描いたことは一度もなかったでしょうか。憎い、悔しい、ねたみ、そねみ、情けないなど悲しみや怒りなどの感情がわいたことがありませんでしたでしょうか。

そして、そう思ったことで自分が裁かれるべき人間だと思いましたでしょうか。

心の自己否定は次のことを生んでしまいます。

1. 他人にどう思われているだろうという不安や恐怖

2.自分はだめな人間、悪い人間だという罪の意識


ここで考えてみましょう。
心のあり方が不十分だからといってその人を批判する権利がだれかに認められているでしょうか。また、心の中でネガティブなことを考えているから、その人を罰するという法律は世界中どこかの国の法律であるでしょうか。ないですよね。

だから、人の心の中はたとえどんな状態であっても何人も、侵入してはならないものなのです。

心は強くしようとしても、鍛えようとしても強くはなりません。
ではどうしたら、心はタフになるのでしょうか。

ご安心ください。そのままでいいのです。
自己否定はけして心を強くしないのですから、そのままを否定しないことが心をタフにするということになります。

「柳に風」です。どんな強風が吹いても自分の心がそのままでいいというやわらかさがあれば、その枝はなびいているだけでけして折れはしません。しかし、その強風に立ち向かおうと心を頑なにすればするほど、その強風に耐え切れずポキっと心の枝が折れてしまいます。

私が心は「闘わせても逃げてもいけない」というのはこういう状態のことを言っています。そのまま、あるがままにそこに居続ければ強風はやがてやみます。強風がやまずに続くことはありません。やがてやむのが自然の摂理です。それまで闘わず、逃げずに心をあるがままにおいておけばいいのです。

しまっておくことでもありません。閉じ込めておくことでもありません。ただあるがままそこにいればいいのです。

たいていは、いけないことだからとか、さわりたくないからとかでしまってしまったり、檻の中に閉じ込めようとしたりします。そうではなくて、ただそこに置いておくだけでよかったのです。

つまり、あるがままでいることが心が最強でいられることになります。
あるがままとは大事に大事にそこにおいておくだけです。どんな心も宝物のように大事にしておくだけです。

おいておくとは、けして現実社会の中にそれを引き出すことでもありません。なぜなら、現実社会の中に引き出した瞬間に、生き辛くなるからです。現実社会とはある意味、心では意識の世界です。意識と心を戦わせることになります。

うそをついてはいけませんとか、行いを正しくしなければいけませんとか、人とうまくやらなければなりませんとか、そんな常識は現実社会の中で大切なもののひとつではありますが、心の中では違っていていいのです。そう、二重人格のようなものです。表と心は二重人格でいいのです。そうしないと、心はけして強くならないどころか、強風にあおられてぽっきり折れてしまいます。

もし、あなたはあなたの大事な人が、心が強くありたいと思ったら、心の中のネガティブな部分を否定しないことです。むしろ、それを大事に大事に扱ってほしいものだと思います。そしてどんな心の中のものもあるがままにそこに置いておいてほしいのです。

もし、それが表の世界(現実社会)に出てきたら、心の中に置いておくために追い返してあげてください。ここはあなたの来る場所ではなくて、しゃんと心の中にそのままでいないさいねって。

そのあるがままの心の姿を変えようとしてもいけません。変えようとすれば心は抵抗します。心が変わるとは、あなたの意識とはまったく無関係なところで生じます。だから変えようとしないのです。変わるときは変えようとしなくたって変わります。あなたの心の中にあるネガティブなものはその意味で不可侵領域です。あなたも他人も誰もさわることなど出来ないものなのです。


●心は強くしよう、鍛えようとしても強くはなりません。
●そのままに心に置いておくことが一番最強なのです。





posted by 大山 at 15:44 | Comment(0) | TrackBack(0) | 対処の仕方

姉妹・兄弟比較

「どうしてあなたの親は姉妹・兄弟比較をしたのか・・・」

あなたには姉妹・兄弟はいらっしゃいますか。
そしてあなたのお母さん、お父さんはあなた達兄弟姉妹にどんなふうに接してきましたか?

兄弟や姉妹比較に今は悩んでいなくても、不安症や神経症で悩んでいる方々にはその記憶が強烈に残っている人が少なくありません。

兄弟や姉妹と比較されて今まで褒められた事が一度もない・・・
その逆でいつも比較の中で自分は褒められっぱなしだった・・・

いつも親は自分を見離していた・・・
いつも親がなんでもしてくれた・・・

そのどちらであっても、そうされる子供にしてみたら
「自分がない」状態、本当の自分がなんなのか分からなくなってしまいます。

「自分はどこから来てどこへ行くの?」
「何かひとつでいい、誰か教えて!」

こんな歌詞の唄が子供番組の主題歌になる時代は何を意味しているのでしょうか。


ひとつには親が自分の親からそうされたという経験のある場合が多くあります。無意識に自分がされたことと同じことを子供にしている場合です。

親は子供の頃、自分はどこから来てどこへ行くの?
愛されているのか、見離されているのか、わからなくなったはずです。
そうすると、自分が何者かわからなくなってしまいます。

自分がわからない状態で、母親や父親になったらどうなるでしょう。
無意識に子供が自分からいつか離れていくことに不安を感じるようになります。

自分がべったりすることへの恐怖もあれば、自分が子供をつきはなす恐怖もあります。どちらが本当の自分なのかわかりません。

自分が見捨てられているのではないかという子供の頃の不安と、子供が自分から離れていくのではないかという不安が、ここにきて統合できない状態になってしまいます。

その結果、子供の兄弟・姉妹比較、つまりまったく違う接し方をすることでしかその不安を埋めることができないようになってしまいます。

あるいは兄弟、姉妹比較にあらわれず、一人の子供に両面を交互にだしていくことで表出する場合もあります。自分の中に棲み付く不安が統合されないのですから、どちらで接したらいいかわからないのです。

それを断ち切ることができるとすれば・・・
どうしたらいいのか・・・

兄弟、姉妹というのは血縁からしたら一番近い存在。
それなのに心も体もまったく違う性質を持ち合わせて生まれてきます。
世界中誰ひとり同じ人はいないからです。
兄弟、姉妹であってもまったく違って当たり前なのです。

人はときに当たり前のことを、当たり前すぎて忘れてしまいがちです。
けれど当たり前すぎるそのことを、自分に、そして子供に伝えることがこれを断ち切るスタートラインになるように思います。

子供は親にとって無条件の愛の対象です。
愛し、愛されることになんの資格も条件も必要はありません。

ある姉妹喧嘩のたえない娘は自分たちの母親を空に例えました。
それは母親が一人は太陽、一人は月だと例えたからです。

兄弟、姉妹は生まれた時から違って当たり前。
どちらが優秀でどちらがそうでないかとか、
どうちが正しいとかどちらが間違っているとか、
そういう雑念はもともと何ひとつ無いんだということ・・・

この当たり前のことを子供に伝え続けてほしい。
あまりにも傷つく子供たちが多すぎる今、それを祈りたいし、伝えたい、そう思います。



(The story of two daughters by KOKIA)








posted by 大山 at 17:53 | Comment(1) | TrackBack(0) | 心の風景

歩くことの効果と本当の意味とは

http://1sad.seesaa.net/article/120351590.htmlに「散歩してみよう、歩いてみよう」という記事を書きましたが、今日はその中で10番(こんなふうに歩いてみようよ)までいった人へのメッセージです。

先ず、歩くという単純なリズム運動の中には、私達が思ってもみないいろいろな効果があることを知りましょう。

簡単に言われていることは「有酸素運動で肥満やメタボ解消」ということですが、もっと具体的に下にかかげてみます。

大きくは・・・

・運動不足解消
・生活習慣病の予防
・体脂肪の燃焼
・メタボ予防
・ダイエット効果
・リフレッシュ効果

そしてもっと具体的には・・・

・心臓や肺機能が高まる
・骨が丈夫になる
・筋力低下を予防する
・血行がよくなる
・持久力が高まる
・ストレスが解消する
・脳が活性化する
・腰痛や肩こりが解消する

などなど。

そして、メンタル面や脳の活性化についてもう少し補足すると・・・

不安や恐怖をわき起こす脳内神経伝達物質は「ノルアドレナリン」だという話を以前したと思います。そしてそのなだめ役が「セロトニン」だという話をしたと思います。

精神科や心療内科で処方される薬は、このセロトニンの分泌を促すものがほとんどです。

そしてこのセロトニンを薬物にたよらず、日常の中で外から促す方法は三つしかないという話を以前したと思います。それは・・・

1.単純リズム運動
2.外の光
3.食事療法



そこで・・・氣づかれましたでしょうか?
「歩くという単純なリズム運動」まず最初に1番をクリアしていますね。そして、当然歩けば外の光にあたります。だから同時に2番もクリアしてしまうんですね。

しごく当然のことですが、人は普通のことがなかなか出来ないものです。


心肺機能が高まる、血行がよくなる・・・
これも不安症や神経症の方に特徴的な過呼吸や心臓のドキドキ、血液の流れがよくなることによる自律神経の調和、循環器系の体の症状の緩和
につながっていきます。

だから、歩くとはとても素晴らしいことなんですね。

ちなみに「歩く」という字は「少し止まる」って書きます。
そう、歩くことは少し止まるということだとすれば、なにもあせる必要はないと思えてきませんか。


休み休み歩いても歩いていることになる・・・
心理的に自分は何もできないと感じていても、少し止まっているだけ、
そんなふうに感じられたらけして後退はしていないし、前をむいていることには変わりない・・・

だから少し止まることはとても大事なこと・・・
そんなふうに思えてきませんか。


さて、次にその歩き方についてちょっとしたコツを書いてみます。

単純リズム運動なのですから難しく考える必要はありません。
よく言われているのは次の三つ。


@かかとから着地する

Aつま先でけりあげるようにする

B目線は7〜8メートル先に置く



これだけです。

@とAは歩幅を少しづつ拡げることで自然にできるそうです。
で、これは血液のポンプ役をするのだそうです。
足は第二の心臓などとも呼ばれていますね。


かかとから着地をし、つま先でけりあげるようにするだけで足の筋肉が伸縮しますから、ぎゅっと血液をしぼりだすような感覚です。


それとこれは僕が歩いていて意識することの一つなのですが、自分の足の裏に根っこが生えていて、それが地面(大地)とつながっているような、地面に深く伸びているような感覚を持ちながら歩いてみてください。不思議な感覚、なにか大地の力を自分という人間にほんの少しでいいからわけてくれている、自然と自分はつながっている感覚を味わえるのです。


イメージって恐ろしいですよ。
脳は現実とイメージを区別できないって言いますでしょ。
本当にそれが現実的、リアルな体感として味わえるのです。
騙されたと思って意識してみて下さいね。


それから、僕が提案しているエクササイズOMEの中にもある五感イメージ法をこの歩いている間にもできますので紹介します。


たとえば、歩きながら何か聞こえてくるもの、一つに集中します。

森林や公園を歩いていると、鳥の声など聞こえてきますよね。
今聞こえている鳥はどこで鳴いているのかななどと空想します。あるいは何種類の鳥が鳴いているのかななどと空想します。あるいは何か伝えあっているのかななどと空想するのです。


あるいは、自分の肌の感触に意識をむけたりします。

歩いていると風や空気を肌に感じると思います。どんな感触ですか。風の強い日もほとんどない日でもそれを感じることができます。毎回その感触は違うのです。



そして、その風や空気はどんな匂いがしますか。

これも歩いている最中に違ったりしますし、毎回違ったりします。時間帯によっても違います。


また歩いていて何をあなたは目にしますか

道端の草木、道行く人、遠くの景色などさまざまなはずです。その目にみえるものを一個づつ何かを感じながら歩いてみてください。


歩いているとふと突然なにかのアイディアが浮かぶことがあります。

それは日常の中でずっと解決できてないなにかにヒントを与えてくれることもあるし、まったく関係のない記憶や思い出に対する今までにない感じ方だったり考え方だったりします。単純リズム運動ほど、脳は活発に動くということは、東北大学の研究室でも発表されていますし、認知症治療にもたくさん応用されています。


こんなふうに考えてみると、というか知ってみると、というか実際に歩いて体感してみると、歩く効果というものは計り知れないですよね。

無理をする必要はどこにもありません。

一週間のうち一日か二日からでもはじめてみてもいいではないですか。
歩く時間は5分でも10分からでもいいではないですか。
歩くコースだっておうちの廻りからはじめてもいいではないですか。


でもね・・・
どんなに小さなことでも何かを感じられることができたら、きっとやみつきになりますよ。

歩かなきゃ、歩かなきゃではなくて、気がついたら歩いていた、そんな感覚でやってみてほしいなと思います。






散歩してみよう、歩いてみよう

ウォーキングというと何か意識して健康の為にとはじめる人が多いのですが、不安や恐怖感を感じている人にとっては、外に出ることさえつらい、中には引きこもりの子供達もいて、なかなかそれをしようとは思わないものです。

だから、僕は言います。

1.自分の部屋の窓のそばに座ってみようよ。
2.自分の部屋のドアをあけてみようよ。
3.自分の部屋から出て家の中を歩いてみようよ。
4.玄関までいってみようよ。
5.玄関のドアをあけてみようよ。
6.玄関のドアをあけて外に出てみようよ。
7.2〜3分だけでいいから散歩してみようよ。
8.目的地を決めて歩いてみようよ。
9.いくつかコースをつくってみようよ。
10.それができたらこんなふうに歩いてみようよ。

で、もし10番までいけた人はこちらをご覧ください。
http://1sad.seesaa.net/article/120354463.html

1〜10まで最初から言うのではありません。
一個づつしか言いません。
一個ができたらオッケー、すごいね、よかったねと。
そして一個ができたら次の一個にチャレンジ、それでいいのです。

多くの場合、家族や支援者や学校の先生などは、1もできないのにいきなり8〜10のことをやらせようとします。もともと、やらせるのではないのです。本人がやろうとすることが大事なのです。

楽しさや心地よさ、自信などは他人に与えられるものではなくて、どんなに小さくても自分の経験や体験からしか生まれません。

自信を持て、気持ちを強くしろ、こんなことじゃ何もできないじゃないか、頑張ることが大事なんじゃないか、といくら言われたって自分で経験体験できないかぎり、そんなもの持てるわけがないのです。

だから、どんなに小さなことでも、できることから始めます。
1ができない人だっています。

そんな場合は、まずはベットから起き上がってみようからはじめていいのです。それで充分なのです。それであなたは素晴らしいのです。




posted by 大山 at 12:54 | Comment(0) | TrackBack(0) | 対処の仕方

あるがままに生きるとは?

あるクライエントさんの話です。

「あるがままに生きていい」と自分に許可を与えていいと先生は言いますが、では私のこのつらい症状をこのまま受け容れて一生それとつきあいなさいということなのですか。

辛いから先生にお話しているのに、それではなにも改善する方法を教えてくれてないことになりませんか。。。


・・・・・

・・・

・・




以前にも書いた記憶がありますが、神経症でお悩みの方の中には白か黒か、善か悪か、左か右か、どちらかでなければならないという思い込みの中にいらっしゃる方が多くいます。


先日、ある名言集をみていて
この「あるがまま」を言い得ていると感じるものがありました。



「上善は水の如し」(孟子)

(お恥ずかしい話ですが、僕は「上善水如」というお酒の名前だけは知っていましたが、その意味は知りませんでした。)

上善とは最上に生きるとか、最善に生きるという意味だそうです。

ということは「最善の生き方は水のようなものだ」ということですね。では水の特性は?これもどこかで聞いた覚えのあることですが・・・

水は高い所から低い所へ流れる、けして低い所から高い所へ流れない。つまり自然の摂理にしたがってけして逆らわずあるがままに流れる。

これは僕がよく言うけして症状と「闘うことではない」という部分に通じるように感じます。




また、水に関してはこんな有名な句もありますね。



「行く河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」(方丈記)


詳しくは解説できる知識はありませんが、河を流れる水は、いろんな障害物にあたっても形を変え、自然に逆らわずに絶えず流れている・・・そんな情景が浮かびます。

これに関してはつらい症状は障害から逃げ回ることではなく、自然に逆らわず形をかえて元の姿と同じではない状態、つまり逃げ回ることではないというイメージを感じます。


この二つから僕なりにあるがままに生きるとは、「低い所から高いところへ行こうとする(闘う)ことでもなく、障害物を避けて通ろうとする(逃げ回る)ことでもない」(闘争も逃走もしない)ということになるのではないかと思うのです。


世の中の成功者や、達人と言われる人たちの大きな共通点は「謙虚」であるということだと言われています。


誰かにまたは自分にへりくだったり、傲慢になったりすることではなく、自分をあるがままに許しながら、あるがまま熱くもえて生きている、そんな感じです。

そこには他人と自分を比較して一喜一憂するところもありません。誰かと競争して勝ち誇り、自分を素晴らしい人間だととらえるところもありません。


謙虚である人はいつも自分をとりまくすべての環境に感謝もしています。

順調に事が運んでいれば、順調にいっている自分の廻りすべての人や環境に感謝しながら生きています。

逆境にあれば、自分が傲慢にならないようにとのサイン、必要な出来事としてそれを素直に受け止めて自分を省みる姿、気づかせてくれてありがとうというあり方で生きています。

その経験や体験が、その人をさらに謙虚にさせるのでしょう。
その人は謙虚でありながら、廻りや環境に感謝しながら
自分の生き方になにか本当の自信があるような感じすら受けます。

本当の一流とか達人の世界は、水の如き「あるがまま」なのです。


これもある方がおっしゃっていたことです。

「本物の専門家とは、その道において誰よりも失敗を重ねた人」だと。

だからもしあなたが今、どんなに不安でもいろいろな症状に悩まされてもそれはけして意味のない出来事ではありません。

それを一生我慢して生きなさいということではないのです。

他人から与えられたこて先の対処法や改善策は本当は有効ではありません。

それでは「自分はすべて他人次第」と言っているのと同じことになります。

自分で自分をあるがままに肯定しながら、絶えず水の如く、自然に逆らわず形を変えて本当の幸せという大海へ流れている、もしかしたら流れているその状態が幸せなのかもしれません。

過去は流れている「今」の集積が過去になっています。
「い・ま」と言ったその瞬間にそれは過去になってしまいます。

また未来は流れている「今」の先に常に未来があります。
「い・ま」と言ったその瞬間にそれは未来をつくりだす源流なのです。

あるがままに「い・ま」を熱く生きてみませんか。








posted by 大山 at 14:49 | Comment(0) | TrackBack(0) | カウンセリング

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posted by 大山 at 23:18 | TrackBack(0) | 対処の仕方

窓のそばに座ろう

一人で閉じこもりたい気持はわかります。

こんな私でもその経験があるからです。


夜に眠れず、朝方まで目がさめています。

眠くなって寝たかと思うのはたぶん朝方です。

ですが、目はまもなく覚めます。



そんな時は、何もしたくありません。

頭がボーっとしています。

布団から起き上がれず、外の光にあたる事もありません。


布団の中でボーっとしていると間もなくまた寝たり起きたりします。

気がつくと夕方です。


いやぁーな気分になります。

一人が嫌な自分なのに、一人でこんな日々を繰り返したら・・・

気が狂いそうになります。



そんなときは、がんばって布団から起き上がります。

外に出なくてもいいから、窓のそばにいってカーテンをあけます。

そんな簡単なことでも大変になるときがあるのです。


だからもしあなたがこれが出来たらとても素晴らしいのです。

こんな簡単なこと・・・ではないのです。

もし他の人があなたと同じ状態になったら、これさえも出来ないのです。



そしたら、今度は思い切って外に出てみよう。

今日でなくてもいい。

でも、窓のそばに座る・・・それだけでも気分が違ったはずです。


ある日、外に出てみたら陽射しがとてもまぶしく感じました。

とってもいい天気なのは分かります。

廻りの緑も目に入ります。


自然はなんて素敵なのに、自分の気持がはれない・・・

はじめはそうでした。

けれど、外に出ないともっと凹むことがわかりました。


外に出るだけなに・・・

普通の人はこんなささいな事、笑っちゃうんだろうなとも思いました。

でも、自分にはこれが精一杯です。



それでもいい、部屋に閉じこもっているよりはずっといい。

自分に許可をあたえてみました。


先ずは起きたら、窓のそばに座ってみよう。

それだけでもいいのです。


posted by 大山 at 21:16 | Comment(0) | TrackBack(0) | 心の風景

僕が涙した感動ムービー

人がもっとも傷つくこと・・・

それは無視(ネグレクト)


人がもっとも勇気づけられること・・・

それは存在を認めてあげること(自己重要感)


私もこの動画には泣きました。
(※野口嘉則氏作)





そして・・・

なんと素敵な歌でしょう。

心があつくなります。




明日必ず死ぬとしたら・・・

あなたはあなたの伝えたい人になんといいたいですか?

今それを伝える勇気をもつだけで・・・


あなたは後悔することがなくなります。



kokiaさんの歌のは、歌を超えた魂の世界を感じます。





posted by 大山 at 15:40 | Comment(0) | TrackBack(0) | 動画・音楽

誰もあなた以上にうまくできない

不安症や恐怖症、過食や拒食(摂食障害)、不登校やひきこもり、育児の悩み、そして生き辛さ(パーソナリティー障害)を感じている女性の方が今とても多く感じます。

そのようなクライエントさんと接していて、かなりの確立で共通していることがあります。

実際に悩んでいるのは体の症状だったり、説明のつかない不安だったり、学校に行けない、外に出れない、自分の体をいじめている方が楽、人とうまく交われない、うまく子供を愛せないなどです。

そのような方とお話をしていて、非常に高い確率で共通していることは、それはご自分とお母さんとの関係が調和されてないということ。

良い悪いではありません。

またお母さんとお母さんのお母さんとの関係にまで多くの場合、さかのぼります。


たとえどんなお母さんでも自分の子供を愛してない人はいないのです。
それなのに、なぜうまくその愛を世代間でつなげられないのか・・・

不幸な母子関係は連鎖してしまいます。
「愛し下手」の連鎖といってもいいかもしれません。


どうして愛し下手が生じてしまうのでしょう。
それは、自分が愛されたという経験や体験が欠落しているからです。

愛された実感のない人は、その愛し方がわからないのです。

でも自分の子供を愛しています。
信じられないかもしれませんが、虐待を加える母親さえです。

自分の子供を愛しているのに、愛し方がわからない。

するとどうなるでしょうか。
なんとしてでも、子供が自分から離れないようにしようとします。
心理学的には「分離不安」とか「見捨てられ不安」とか言います。

お母さんは、子供が自分から離れることが不安でたまりません。
すると干渉しすぎたり、甘やかししすぎたりします。
これが過干渉、過保護です。

逆のことをする場合もあります。
無視や、放置、無関心を装う、一切放りっぱなし、時には精神的肉体的な虐待をします。
そうすれば子供が自分に依存するであろうと予測するのです。

この両極端のことを同時に姉妹、兄弟間で比較するという行為にでる場合もあります。

違うやり方で、子供達を自分につなぎとめておこうとするのです。

やり方は極端で中間がありません。
適度を知らない、というか、わからないのです。

当のお母さんはこの自覚さえまったくない人もいます。
子供は常におびえています。
お母さんに愛されたくない子供はいないからです。
なのに、これが成人してからなお続く場合があります。
子供は愛されたという経験や体験なく大人になります。


この経験、体験は無意識の領域に刷り込まれます。
本人は自覚できませんから、なんと怖いことでしょうか。
これが不幸の連鎖です。


子供は心の中でこう叫びたくなります。
お母さん、どうして私に意地悪するの?
何もほしいわけじゃない。
ただ、普通にしてくれさえすればそれでいいのに。
ただ、悩んだり苦しんだりしてくれた時にそばにいてくれさえしれくれたらいいのに。
ただ、抱きしめてほしいのに。
そして、できればただ「お前を愛しているよ」とだけ言ってくれたらいいのに。

そして、それは実はお母さんも自分の母親にそうしてほしかった。


でも長年続くとその気持さえなくなる人がいます。
その気持を閉じ込めてしまうしかなくなるからです。

その結果、心と体にいろんな症状があらわれるのです。
そして、自分の子供の愛し方さえわからなくなります。


これを断ち切る方法はないのか?
私はいつもそれを考えてきたように思います。

傾向は同じでも、一人一人みなその中身は違います。


答えは・・・・ありません・・・


けれど、おかしな言い方をしてしまいますが、実は確実にあります!


それは何?


・・・ 本人の氣づき ・・・ です。


ただひたすら「私はお母さんに愛されたかった」という氣づきです。

すべてはそこから始まるように思います。


氣づきさえすれば、自分の中に変化を起こせます。

たとえ親子であっても、相手を変えるということは至難の業です。
相手を変えることより、自分を変えることのほうが
はるかに簡単で楽なはずです。

自分が変われば、相手も変わるという法則があります。

だから、氣づいた方から変わればいいのです。


でもどう変わればいいの?
最初はみなさん、そう思います。

それは、あなたの気持を我慢することではありません。
逆です。
自分はお母さんに愛されたかったというそのままの正直な自分でいいのです。

人は変わろうと思っても意識すればなかなか苦労します。


だから、本当は変わろうとしなくていいのです。

ごめんさない。

私の言い方はいつも逆のことを言ってしまう感じがすると思います。


変わろうとしなくても、自分に正直に生きる、
本当の自分らしく生きる、それだけでいいのです。
本当のそのままのあなたでいいのです。


すると不思議なことが起こります。
思ってもみなかったことが起こります。


氣づいた人が、不幸の連鎖を断ち切るチャンスに立ったことになります。それは幸せなことです。

あなたがあなたらしく生きることで、あなたのお母さんにも、あなたの子供さんにも、そしてあなたご自身にも幸せがおとずれます。

自分の子供さんが、これから結婚し母親になるにあたってそれは非常に幸せなことなのです。

すると今度は幸せの連鎖が起こります。


一人でも多くの方へ幸せの連鎖の入り口にたってほしい。

私の願いです。

それは私が立たせてあげられるのではありません。
そこに立つのはやはりあなたご自身でしかありません。

氣づいた人であっても、やはりちょっとしたことでお母さんを恨めしく思ったり、悲しくなったり、自己嫌悪に陥ったり、叫びたくなったりします。

その為に私のようなところがあります。
そういうときは遠慮なく、私に吐き出してくださいとクライエントさんに言います。
けしてためないこと、と言います。

だから、心をケアーしてください。
あなたはあなたのままで100%オッケーなんだと許可してあげて下さい。


あなたは幸せの連鎖を運ぶ人です。
誰もあなた以上にうまくできる人はいません。

だから、あなたの存在はとても価値ある重要な存在なのです。





posted by 大山 at 15:06 | Comment(0) | TrackBack(0) | カウンセリング

私ってなんの病気なの?

30代の独身女性、もうすでに10年以上の入退院を繰り返しているクライエントさんの生の声です。

彼女とはお逢いしたことはなく、お電話とメールのみの方でしたので以下はメール、または電話でのやりとりだと思ってください。


先生がお医者さんじゃないから診断はできないよっておっしゃるのはわかるけど、でも先生だったら私って何だと思います?

そういう質問をうけたので、私は今までのセッションの経緯から、そうだね、どうしてもって言うんだったら、あえて言えば「神経症とパーソナリティー障害」をいったりきたりしている傾向がある、ということかな・・・と答えました。

その後、なぜ彼女が私にその質問をせまったのかが分かりました。

へぇ〜、逢ったこともないのにすごいですね・・・と言いながら
「私の今までの医師からの診断は、自律神経失調症、不安神経症、鬱病、パーソナリティー障害でした。でも・・・なぜ、その都度診断名が変わるのかとっても不思議なんです。なぜ医者により診断名が違い薬の処方も全く違うのだろうといったい私の本当の病気は何なんだろうでも長年、苦しんでるうちに診断名なんて、何だって良い!とにかく今、抱えてる症状さえ少しでも治れば改善されればと…楽になれる方法を考える様になりました。」と・・・

この素朴な疑問は、本当にあたっていると思います。

診断名なんて医者によって違う。
時系列でも違う。
薬も違う。

一時は、一日に30錠も飲まされたという時もあったと言います。

これが日本の精神医療の現実なんだなぁなんて・・・あらためて思います。患者さんがかわいそう。



posted by 大山 at 03:39 | Comment(0) | TrackBack(0) | カウンセリング

大山メンタルオフィス>無料カウンセリング

下の動画は、たまたまネットでみつけた無料のCM作成サイトでつくってみたものですが・・・すごいですね。最近のサービスは。下の画像の再生ボタンを押してみてください。

※ブラウザのJavaScriptをONにして、Flash Player9以上をインストールしてください。
Get Adobe Flash Player


あ、上の内容は本当のことです。
それと、男の人の写真・・・そう、大山です。


これとは別に最近、ネットに「30分無料電話相談」広告をだしてみました。
あまり余裕がないのでとても小さな予算で。
でもその反応に少し驚いています。

ほぼ毎日、電話がかかってきます。
そして皆口々に言います。
気軽に安心して相談できる場所が探してもないと・・・。

日本全国エリアに関係なく今クライエントさんがいます。
ふだんはメールと電話カウンセリングです。

お悩みは本当に人それぞれみな違います。
ご本人ではなく、友達や家族、恋人などその方にとって大切な方の相談という場合も多くあります。

これは前から分かっていたことですが、
たとえば悩みのジャンルや、体の症状は同じカテゴリだったりします。
ですが、その悩みの根っこになっている原因は、100人いれば100通りあるということです。

悩んでいる当人にしてみれば、親や友人にも言えないようなことを本当にどう整理したらいいのか分からないといいます。

だから、こういう場所があってよかった、皆さんそうおっしゃってくれます。(あえて・・・僕の宣伝ではありません)

お名前もどこからかけているかも、何も言わなくていいですと表示しているからでしょうか。それとも、たとえどんな非道徳なことであっても私の方針である「ゼロベース」でお話を伺っているからでしょうか。それはわかりません。

もしこれをご覧になって、誰に話していいのか分からないという方がいらしたら、遠慮なくお電話ください。カウンセリングがあなたの役に立つのかどうかを確かめるだけでもいいと思います。

ただし、出られない場合も当然あるので何度か電話しても留守電に入る場合はメールでご予約くださいね。
大山メンタルオフィス
TEL:018-853-0775(土日、祝祭日休)
ohyama.office@gmail.com


また、このカテゴリ「カウンセリング」には実際にどんな相談や、私のクライエントさんとのカウンセリングの事例を書いていこうかと思います。

ただし、個人の守秘義務が当然生じていますので、お名前は仮名、シュチュエーションはすべて変えて書いていきます。

同じように悩んでいる誰かのために、何かの氣づきのお手伝いになればと思います。







posted by 大山 at 12:30 | Comment(0) | カウンセリング

社会と個人の不安(18〜20代前半の悩み)

最近、18才〜20才代前半からの無料相談に多いと感じる傾向がある。


悩みは一言では言えないが、ひとつには「説明のつかない不安」があるということ。

例えば、特定の状況や場所や条件になると緊張しすぎたり(過緊張)、呼吸が困難になったり、思考が混乱したりという(パニック症状)ものがあるが、社会の当たり前に起こる状況に対応しきれないで悩んでしまうのが、自分の中でどうしてなのか?がわからない。(社会不安)


もう一つには「人間関係やコミュニケーションを他人ととる状況に対する怖さ」というもの。

単に対人恐怖症ではくくれないような、多様な形態をとっている。職場や学校、家族でさえ、他の人の視線が氣になるどころか、まったく赤の他人、知らない人にさえその怖さみたいなものに怯えてしまっている。そして時にそれを隠すために、とても人付き合いのよい人間を演出してしまったり、ファッションを同じ傾向のものにしてみたり、逆に異常に自分自身に緊張を与えたり、演技的な頑張りみたいなものでそれを表出させないように闘ってしまっている人もいる。

また、日常生活の中に安心感がなんとなく欠如しているような感じが本人の中で持続的になっている。社会性の中で自分を演出していることに疲れて、あるいはそれが怖いがために就職することを無意識に避けてしまっていたりすることもある。



これらは、言ってしまえば本人が自覚しているいないに関わらず「自己否定」的な感覚から出てきているといっていい。そしてそれは、何をしてもなんとなく自分に自信がないという過去の体験や経験からきている場合が少なくない。


自分と他人とのはざま、自分と社会性とのはざまの中で、いったい自分の性格や性質、社会適性は何なのだろう?わからない!・・・だから怖い!という感覚だと思う。そこで、自分の性格性質や、能力適性を知りたいという気持ちを持つ人もいる。若い人、特に女性が占いにこってしまうのはこのこととも関係しているのではないだろうか。


それは、平たく言えば「自分は何者なの?」ということになる。自分で自分のことがわからなくなってしまっている。あるいは、根源に自分否定があることから、「本当の自分」は知りたいけれど、分かりたくない(恥ずかしい自分、嫌な自分はみたくない)というような無意識の逃げ場所をどこかでつくってしまうという場合もある。

誰でも人は嫌な自分をみたくないものだが、実は他者の誰もが、本人をそうみているわけではないのに、自分でその領域をつくりあげている場合(思い込みの学習)が多く、通常の場合と異なる点はそこにある。


この傾向や状態を脱するにはどうしたらいいでしょう?と相談される場合が最近とても多くなってきたように思う。

それぞれに皆違うので、一概にはもちろん言えないが、心理的法則から言えば、太古の昔から言われているとおり「自分を知ろう」ということになる。「汝、自身を知れ」(ソクラテス)


でも、どんな自分が本当の自分、自分らしい自分なのかが分からなくて悩んでいるという人は、分からないから相談してるんです!と言いたくなってくると思う。

その場合、私は「わからなくなっている自分がいる」ということを先ずは自分で受け容れようよと話している。そしてそういう自分がいていいんだと自分を許してあげようよと。

それじゃ先生、辛いままじゃないですか!何とかしてくださいと言う。そしたら「何とかしてほしい」と叫んでいる自分がいるということを認めようねと・・・。


禅問答をする気はさらさらないが、そうやって先ずはあるがままに自分の感情を吐き出すことから始めるのが、実は今とは違う結果を求めるスタートラインのような氣がする。

そしてそれは、治療者や支援者が本人に変化を起こすのではなくて、自分自身である本人が感覚的な経験や体験をしながらつかみとれていくものだと思う。

治療者や支援者は、その単なるお手伝い役でしかない。でしかないがそのお手伝い役にふさわしい人間が今求められている。それは私であってもいいし、私でなくてもいい。カウンセリングとは常々「いっしょに考える作業です」と言っているが、いっしょに考える以上、本人とカウンセラーの相性というものがあろうと思う。その点は医師との違いが確実にある。医師と患者にも相性があろうが、医学的にはもちろんそれは問題視されない。だからそれを区別していい。


人は誰しも他人から認められたいもの。
それは人情だから、そう思うななどと野暮なことは言わない。
でも、他人から認められたと感じたり考えたりするのは自分。
いくら他人がすごいね!と本心で言ってくれても
自分で自分を認めてなければ
他人から認められたとは体感できない。

その意味で誰もあなたをジャッジするものではない。
あなたをジャッジするのはあなた自身でしかない。



だから先ずはたくさん自分に許可をあたえてあげよう。

もう、親の目なんか氣にしなくていい。
もう、いい子でいる必要もない。
もう、これしちゃ駄目とかあれしちゃ駄目とか考えなくていい。
もう、他人の目で自分をみることはやめていい。
もう、自分を変えようなどと思わなくてもいい。
もう、何かを信じようなどと思わなくてもいい。

自分の目で自分をみて・・・たくさん自分をほめてあげていい。
自分を自分で認めてあげないと、心がかわいそうすぎる。
たくさん自分をほめてあげると、自分の心はわくわくしてうれしい。
わくわくしてうれしい心は、自分を自由に解放してくれる。

そのままのあなたでいい。
自由に解放されたあなたは、自分らしく生きられる。
自分らしく生きれば
本当の自分ってもしかしてこれ?と自然にやってくる。

元気とは「もともとあなたがもっている氣」
だからそれを引き出してあげればいいだけ。

信じられなくてもいい。
でも、あなたは無限の可能性をもともともっている。






posted by 大山 at 23:45 | Comment(1) | カウンセリング

●●障害は心の病気なの?

私は医師ではないので、もちろんクライエントさんに対してあなたは●●症ですとか、●●障害ですとか、ましてや精神病ですとか診断できるものではありません。

ですが、多くのクライエントさんと接していて、心療内科や精神科の医師に診てもらった診断名は、クリニックや病院、医師ごとに違っていたり、クライエントさんが訴える症状や時系列ごとに異なる診断や合併的な症例として診断されているという事実に出逢います。

心は外科手術のように開いて診れないのですから、そこには必然的に医師の主観が入ってしまうようです。かといって医師を否定をするものではありませんが、事実としてそうだとクライエントさんには伝えています。

なぜこんな事を書くかというと、医師に診てもらう、もらわないに関わらず、実に多くのクライエントさんが私にこう聞くのです。

「先生、私は心の病気なのでしょうか?」


そこで、医師ではない私だから言えるかもしれないことを素直に述べてみようと思います。


続きを読む
posted by 大山 at 22:12 | Comment(0) | カウンセリング

集中力トレーニング 666円法

今日は、メンタルトレーニング、集中力アップ法の一つ、666円法です。

簡単です。手元に666円を用意します。
500円硬貨1個、100円硬貨1個、50円硬貨1個、10円硬貨1個、1円硬貨1個で666円になります。

それを以下のようにテーブルにたてるだけです。
簡単でしょ。


666円法


最初は、え?うまくできないとか・・・
手が震えてしまう・・・とか
本当に全部たつの?・・・とか

いろいろ考えると思うので、うまくできない人もいるかもしれません。

でも・・・
置いてスーッと立つイメージをしていくとそう不思議にスゥっと立ってしまいます。

なんだ、簡単すぎて面白くないじゃない!そう思う程かもしれません。


うまく出来たら、今度は、用意スタートでどれくらい短時間で5枚の硬貨を立てられるかに挑戦してください。

時々やると、調子のいい日、悪い日、いい時、悪い時に氣づきます。
それが、あなたの集中力エネルギーの小さなバイオリズムです。

人は誰でも、エネルギー(氣)が充実しているときと不足している時があります。

不足している時は、あせらずカードトレーニングやその他の方法で自分自身に充電しましょう。

どれも簡単なことですが、人間には波がある
でも、それを意識してトレーニングしていることで
いざというとき、正しい判断力やパファーマンスができるできないに
深く関わってきます。

簡単、だから、気楽に楽しく、
でも意識の横にいつもちょっと置いておいて
あなたの氣のエネルギーを自然に高める傾向にもっていくことができるのです!




posted by 大山 at 02:25 | Comment(0) | 集中力アップエクササイズ

死から生をみる


自分の死が喜んでくれるものって何だろう?


 たぶん・・・

  お金はよろこばないだろう

  イライラ、クヨクヨはよろこばないだろう

  うらみ、つらみ、ねたみ、そねみはよろこばないだろう

  自殺はよろこばないだろう

  ほかには?


わたしは死にたいわけじゃない。

自分の死が喜んでくれるものは何だろう?と考えたとき


 ただ、今生きているという感覚だけはわいてくるような氣がする。


                    大山 金昭


posted by 大山 at 14:50 | Comment(1) | 氣になる言葉

大山の目鏡法

「目かがみ」という語を聞いたことがありますか?

今日はその変形版として大山のおすすめ法をご紹介します。

もともとは自分で自分の目をみつめるという単純な方法ですが
小さな鏡に自分の目だけを映し出してみる、そんな方法です。

車のミラーでも100円均一で買える小さな鏡でもできます。
専用の鏡も販売されているくらいです。

実は今日ご紹介する方法は「鏡」を使いません!?
そう、目かがみ法なのですが鏡は使いません。

何を使うかと言うとデジカメですが、
携帯電話のカメラで十分です。

1.先ず、自分で自分の顔だけを携帯電話カメラで撮影します。
両目がうつっていればオッケーです。

2.で、その画像を自分のPC用メールアドレスに送ります。
※本当にやってみようかなという人は
  パソコンのない人でも心配しないでください。
  後でお話します。

3.次にパソコンで両目だけを切り抜き画像にします。
  以下のようになります。

 大山の目鏡法

4.これを再度自分の携帯アドレスに送って、
  携帯側で画像を保存します。
  あるいは、印刷して持ち歩いても結構です。
  自分のパソコンのデスクトップにはりつけても結構です。


(撮影時の注意)

撮影する時は、できるだけ自分で自分を優しくみつめてください。
そして以下のようにつぶやいてください。
最初は恥ずかしいかもしれませんが、何度かつぶやくと大丈夫!

 「あなたは素敵だよ」「お前は素敵だよ」
 「私はオッケー! あなたもオッケー!」
 「ありがとう」


5.あなたの携帯に保存したあなたご自身の優しい目
  あなたが持ち歩いているあなたご自身の優しい目

  あなたは「自分もオッケー、相手もオッケー、ありがとう!」
  そんな目であなたご自身をいつもみています。
  1日に一回はそのあなたの優しい目をみつめて下さい。

  すると不思議なことがあなたの身の廻りに起きるでしょう。
  意識しなくて結構です。
  ○○したい、○○しなきゃ、なんて考えなくて結構です。
  あなたは氣がついたら、
  何かが変わっていると感じるだけでいいのです。


これが大山式の目かがみ法です。
嫌だったらやらなくても結構です。

信じる信じないではありません。
今のままだと嫌、そんなあなただったらおすすめします。
やってみるかみないか、それだけです。

わかりました、やってみます!
でも、パソコンがなくて、画像が切り取れません・・・
そんなあなた、大山にあなたの両目がうつった部分で結構です。
携帯で撮影してメールで送ってください。
切り取って、あなたの携帯へお送りします。お約束します。
こちらのメールアドレスへどうぞ。
ohyama.office@gmail.com



マインドサポートプログラム(MSP)
大山式メンタルエクササイズ(OME)の会員さんでなくても結構です。
たまたまこの記事をみかけた人でも歓迎します。
ご覧になられてここまで読んでくださってるだけで
ご縁をいただいているのです。


「私もオッケー!あなたもオッケー!です。ありがとう!」


もちろん無料です。切り取るだけで簡単ですから。
でも、できれば一言、二言
あとでいいのでメールかコメントをくださればうれしいと思います。



ちなみの上の目の画像は・・・

大山本人の目でした。(^^)/









posted by 大山 at 11:16 | Comment(0) | 心の風景

涙は大地で愛、命に変わる

最近好きで聞いている曲です。
平原綾香の「ノクターン」

同じ曲の日本語版「カンパニュラの恋」の歌詞とは
やはりちょっと違います。

英語で歌っていますが、下の動画は日本語訳が入っています。

その中に・・・


「人は誰しも苦しみや悲しみを抱え」

「人知れず涙を流す」

「でもその涙が大地に落ち」

「やがて愛ある新たな命をこの世に迎える」



「涙は心を洗い流す石鹸」という言葉が好きで
私は皆さんに泣きたい時は思いっきり泣いた方がいい・・・
そう言っていますが。。。

そして、この曲の歌詞で

「涙は大地で愛、命に変わる」と言っています。

単純にセンチメンタリズムではなくて本当にそうだと思います。
演出や役者をのぞいて

「涙は本当の自分が流します」

それ自体が自然であり、愛であり、命なんですね。




ユーチューブこの動画へ


ちなみに「ソールメート」という語をご存知の方も
いらっしゃると思いますが(最近ちまたで流行っています)

彼、彼女
恋人
愛する人

他の言い方ではとても言い表せない英語です。

動画の訳では「運命の人」になっていますが
私自身はちょっと違う感じがします。

直訳すると「魂の人」ですがそれとまた違う。

ソールメートを持っている方はそれだけで幸せな人です。

たとえ持っていなくても
その響きには異性を通り越した対象を感じます。
うまく表現できないのですが
「他人なのに自分と同一の自然法則にかなっている相手」
という感覚です。

無意識を通り越したものを
心理学では超意識とか集合的共有意識とか
シンクロにシティーといいますが

ソールメートはどちらかというとそれに近いものがありますね。











posted by 大山 at 23:09 | Comment(0) | 心の風景

紙カウンセリング マインドマップ

私はよく「メモ魔になろう!」と言います。

なんでもいいから思いついたらメモする。
というのは忘れ物防止という意味ではなくて

ここでは、
何かに思い悩んだとき
頭の中が混乱したとき
壁にぶちあたってしまったとき
何から先にどうしたらいいか分からなくなったとき
ふと自分が何もしてないときに集中できたとき
急に何かのヒントを思いついたとき


そんな時に紙の上で考えてみる紙カウンセリングという手法です。

マインドマップ(心の地図)とも言う人もいます。
書き方や手法を説いている人もいますが

私はその人それぞれのやり方で
これといった規則はないよと言っています。

誰に見せるものでもないので
自分だけしか読めない、分からなくてもオッケーです。

ちなみに私が先日やったものです。
ぼやけていてわかりずらいかもしれませんが
とにかく私はいつもこんな感じです。

ほとんど他の人がみたとしても
なんのことだかどんな意味なのか
さっぱり分からないと思います。

それでいいのです。
大山の心の風景なのですから
誰もわかるはずもないし(自分でもわからない)
わかる必要も意味もないのですから。


マインドマップ3
クリックすると大きくなります。


単語の羅列を線で結んだり○でかこったり印をつけたりと
まったく何も考えずに落書きのような感覚で書いていきます。

ただ、規則性があるとすれば
紙(ノート)の真ん中からいつもはじめています。
でもこれは大山のやり方です。

今回は自分自身がテーマだったので
真ん中に「大山」って書いて○で囲みました。
ノート中央の赤丸の部分です。

すべてはここからはじめて
思いつくまま空白に単語を書いていって
関連性があるなというものを線で結んでみただけです。

このノート一枚書くのに約20分くらいだったように思います。

そこから生まれてきたキーワードは・・・

「愛」
「自由」
「つながり」
「参加」
「自立」
「らしさ」

でした。

ここまでやって止めましたが、
この「自分」から生まれてきたキーワード6個を眺めていると
またまたいろんなことが浮かんできます。

そんな時またテーマをきめずに
たとえば「愛」を新しい紙の真ん中において○で囲み
同じ作業をしていきます。

具体的に大山がどんな感じでメモしているのかを
今回は具体的に紹介しました。

中身が問題ではなくて
雰囲気を感じ取ってもらえたらと思います。

やり方に決まりはありません。
あなたも自由にやってみてください。

自分でも思いもしないキーワードが生まれる場合があります。
しかし、それはまぎれもなく自分から生まれてきているという
「事実」に氣がつきます。








posted by 大山 at 22:15 | Comment(0) | 心の風景

知っておくだけでラクになること

不安症や恐怖症、パニック症で悩んでいる方へ
知るだけでもラクになるいくつかをまとめてみます。

□不安による心臓のドキドキは運動することによる心拍数以上に
 身体に害になることはありません。

□パニックや不安発作で今までに死んだ人はいません。
 (パニックや不安で死ぬことはありません)

□不安症状や障害は、重い精神病とは区別されており別のものです。

□症状がつらいときは仕事や学校を休んでも構いませんが
 休んでいても、対処や克服法を学ぶことはできます。

□不安や恐怖に対する対処方法や克服方法を学ぶことは、
 他の事や人に対する理解やエネルギーの増加や充電になります。

□薬にたよることは一時的に症状を抑えているにすぎません。
 長期に渡る服用は依存度を高め、過剰摂取による
 あらたな不安症状をひきおこします。

□あなたの性格性質傾向がたとえストレス耐性に弱くても、
 対処法や克服法を学び実践していくのとは無関係です。

□性格傾向との関連性はありますが、
 性格の善し悪しとはまったく関係ありません。
 あなたはそのままのあなたで百点満点です。

□対処したり克服したりするのは、
 あなたご自身です。
 医師やカウンセラーはあなたを治すことはできません。
 あなたが氣づき、あなたが実践されることで完治します。
 真の援助者とは、自分の立場ではなくあなたを中心と
 して、さまざまな次元で援助する人のことを言います。

□神経症は体の気質的な病気でもなければ、
 精神病とも区別されているもので、病気ではありません。
 元氣はもともとあなたの中にあった(ある)ものです。
 それを取り戻すだけでいいのです。


posted by 大山 at 17:44 | Comment(0) | 対処の仕方