結論から先に言えば、愛と落ち込みや凹みには密接な関係があります。簡単に言うと、失恋すれば人は落ち込みます。失恋して凹まない人などみたことがありません。失恋は愛する対象の喪失です。
あなたが今何歳であっても、ここで少し自分の失恋経験を考えてみましょう。
失恋は愛する対象の喪失だと言いました。失恋と言うからには相手を失った悲しみです。自分がいくら好きでも相手からノーという拒否をもらうことになります。この場合、相手から愛をもらえないという悲しみですが、実はもう一つあるのです。
それは、自分が愛する対象がなくなったという悲しみです。
あなたは相手から与えられない愛で悲しいのでしょうか。それとも相手に愛を与えることができなくなったという意味で悲しいのでしょうか。もちろんどちらの気持ちもあるでしょうが、比較の問題でどちらが悲しいでしょう。
人はどんな人でも愛を求めて生きています。
多くの場合、失恋しても時間がたてばまた別の人を愛せるものです。ずっとその失恋をひきずって恋愛をしないでいる人はほとんどいません。これを「愛は永遠なもの」と言ってしまえば、他の人を以後一切愛してはいけませんということになります。もしそれを自分でやってしまったら、あなたはもう生きていけない程に苦しいでしょう。
お気づきでしょうか。
本当は自分が誰かを愛せない方が愛されないよりも余程つらいのです。
そうです。愛の対象の本質は自分だったのです。心の矢印は一見、他人からもらう愛にみえますが、本当の矢印は自分自身にむかっていたということです。
永遠の愛だとか、人類の愛だとか、大きな愛もたしかに声高に言われています。しかし、そんな愛はまぼろしにしか過ぎません。もともと個人の愛の世界ではそれを体感できる人がいないからです。
それよりも、もっと現実的で小さな愛はすぐに体感できます。例えば毎日会う旦那さんや奥さんと、朝でも昼でも夜でも何気ない「あいさつ」をする、泣く子に対してあやしてあげている自分がいる、子供をしかったり心配したりしている自分がいるとかです。あるいは自分が風邪をひいたときに旦那さんや奥さんから、「大丈夫?」と一言声をかけてもらう、食べられない時に簡単な何かをつくってくれたりする、悩んでいるときなど解決策はなかなかみつからないけれど、じっと手をにぎってくれたり抱きしめてくれたりする・・・
永遠の愛だとか、大きな愛を信じていると、こんな小さな小さな愛の言葉や行為が愛だとは感じることができなくなってしまいます。もともとそんなものはなかったのです。それなのに、なにかそんな高貴にみえる愛を期待したがために、目の前のホンモノの愛がわからなくなってしまうのです。
永遠の愛、大きな愛などはもともとなかったものと腹をくくってみると、逆に小さな愛に痛いほどありがたさを感じる自分を体験できます。
小さな愛とは、小さな言葉、小さな行為の積み重ねです。
その小さな愛こそがホンモノの愛だったのです。
ホンモノの愛を体感できると、人は愛の対象を呼び戻すことができます。一度失った愛の対象は実は自分だったという話をしました。しかし小さなホンモノの愛は、自分という愛の対象を取り戻すことになります。しかも小さな愛は小さな言葉と小さな行為なのですから、しようと思えばすぐに他人にもそれを与えることができます。
そう、小さな愛とは与えられる愛ではなく、与える愛だったのです。
与えるだけの愛とは、なにかもの悲しくも感じるかもしれません。人は愛されたいからです。産まれてまもない赤ちゃんは、お母さんから無条件の愛を獲得できます。当たり前ですが、一人では生きていけないからです。だっこされ、母乳をあたえられ、お母さんの肌や鼓動は赤ちゃんに安心感を覚えさせます。これが私達がいくつになっても、与えられる無条件の大きな愛があると信じてしまう原因です。しかし、ホンモノの愛は赤ちゃんをだっこできているという母親の内側にあるものがホンモノの愛なのです。やがて、赤ちゃんは成長し、少年少女期をへてお母さんから分離していきます。
この分離がうまくできて、お母さんも赤ちゃんも自律したお互いの人格を形成していくのですが、これが永遠の愛とか大きな愛とかというまぼろしを信じたがために、うまく分離できないことも生じてきてしまいます。これを分離不安とか見捨てられ不安とかと言います。これに関しては別項で書いてみたいと思います。
いずれにしても、大きな愛、与えられる愛はまぼろしだったということになります。ホンモノの愛は小さな愛、言葉と行為による愛だったということです。そしてその小さな愛は一方通行のみの愛だったのです。
そんなふうにホンモノの愛がみえてきたら、自分のために一方通行でも構わないから先ずは形から入ってみることができます。小さな言葉や小さな行為は大きなまやかしの愛と違ってすぐにできるからです。明日からと言わず、今すぐできることなのです。
職場の上司や同僚、配偶者や家族の面々、お友達にでもそれはできます。もちろん一方通行なのですからもの悲しさはあるかもしれません。しかしその人たち(たとえ毎日会う人、会わない人、すでにもう逢えない人でも)の顔をよくよく思い出しては心の中で静かに少しじっとみつめてあげてみてください。
小さな言葉、小さな行為を与えるに十分な人たちのような気がしてきませんでしょうか。それはその人たちの為にも勿論なりますが、本当は自分という愛の対象を取り戻すために一役も二役もかってくれるものになるでしょう。
●大きな愛、永遠の愛とはまぼろしの愛だった。
●愛を感じられなくなったら、小さな愛を実行してみよう。
●小さな愛とは小さな言葉、小さな行為であり一方通行の愛です。
タグ:愛









